第8部分 (第1/4頁)
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、いずれ名だたる北アルプスの名峰へと至るのだが、今回は単なる物見擼�劍à玀韋撙妞丹螅─�康膜扦蠠oい。あくまでも、耍麤g、そして、深山が歩いたであろう足跡(そくせき)を蓿�毪韋�康膜饋S屹讀值坤驓iくこと1時間。最初の休憩地、罰Ц咂劍à郅郡�坤い椋─丐茸扭�I餞沃肖我卉幩蓼妊預盲匡L情(ふぜい)の罰Ц咂獎茈y小屋が建っているが、あいにくと人っ子一人いない。入口橫の案內板をよく見ると、この時期は土日しか営業していないと書かれている。道理で誰もいない訳だ。俺は小屋の前に広がる放牧場で、鳥が囀(さえず)る中、長閑(のどか)に草を食(は)む牛達を眺めつつ、暫し休息を取った。
罰Ц咂餞虺訾�1時間。白出沢出合に著く。この儘、林道を進めば、槍平(やりだいら)を経て「日本のマッタ��邾毳蟆工趣獬皮丹欷朊�濉�尌鱸坤丐戎瀝毪韋坤�⒘值罋iきはここでお仕舞いだ。ペットボトルに湧き水を補給し、右側の樹林帯へと足を踏み込む。ここから次のポイント、重太郎橋までは白出沢左岸の獣道(けものみち)の如(ごと)き細い登山道を行く。陽光(ひ)を遮(さえぎ)るものが無かった林道とは打って変わり、木陰(こかげ)の中を歩くので、とても涼しい。とは言え、新罰Ц撙虺靄kしてから、ここまでで出會った登山者は一人もいない。共に罰Ц撙味牼€を目指すル��趣扦ⅳ毪摔愾vわらず、上高地、新罰Ц撙繞鸕悚�悿勝毪坤堡恰ⅳ長欷郅嗓蓼扦瞬瞍�ⅳ毪趣纖激銫勝�盲俊¥長欷�⒛妞松細叩丐�槨坤盲郡欏⑺�耍à窯齲─瘸齷幛銫勝い瑜Δ摔工朧隴畏餞�yしい。これなら、このル��趣蟶釕餞人{沢が歩いたとしても、他人に見られた可能性はとても低かった事だろう。
午前11時過ぎ、重太郎橋に著く。「重太郎橋」なんて言うと、さぞや立派な橋が架(か)かっていると思われるかも知れないが、実際には角材を番線で束(たば)ねたものが白出沢の流れの上に渡されているだけだ。しかも、大雨の時や雪解けで沢の水量が多い時には橋は水沒。ここを渡るのが困難になると言うのだから恐れ入る。幸い、ここ數日晴天続きで、雪解けの時期でも無い事から、沢の水量はそれ程でも無い。何の苦も無く渡れたのはいいが、一難去って又一難。橋の次は迴廊だ。左側は垂直な岸壁、右側は切り立った斷崖。幅1メ��去氤踏蝸瀝せ乩趣瑫氦�Aくのだが、所々に設定された標識には、「落石注意、速(すみ)やかに透過せよ」等と書かれている。実際、比較的新しい崩落跡にも遭遇した。ここではゆっくり休む事すら出來ない。腰を下(お)ろして休みたいのは山々だが、先へと進む。
迴廊を抜け樹林帯の急登(きゅうとう)を進む。次第に沢の流れる音も遠ざかり、突然、見渡す限り一面のガレ場が目の前に現れた。橫には、いつ頃、うち捨てられたのかも分からない朽(く)ち果(は)てた小屋がポツンとある。腕時計に目をやれば、正午はとうに過ぎている。荷継小屋跡へと到著したのだ。
深山荘で用意してもらった弁當を食べ終わった俺は、ル��勸改詘澶虼_認する。なるほど、涸沢嶽の南西尾根を挾んで左右に似たような二つのガレ場が稜線へ向かって続いている。罰Ц咴郎角Pの建つ白出のコルへは右奧の白出沢のガレ場を登らなくてはならないが、ここへ初めて來た者にとっては、左手前の荷継沢のガレ場を登りたくなる道理も良く分かる。ル��勸改詘澶瑹oければ、恐らく俺ですら何も考えずに、手前の荷継沢を登るだろう。ましてや、案內板に細工がされていたとすれば尚更(なおさら)の事だ。とは言え、今日は白出のコルへ向かうのが目的では無い。耍麤gの滑落遺體が発見された涸沢嶽沢へと向かわねばならないのだ。
荷継沢を登り始めて、そろそろ1時間。右側に別のガレ場が現れた。荷継沢自體、一般の登山ル��趣扦蠠oいから、周囲を見渡してもル��勸改詘宓取ⅳ嗓長摔庖姷堡郡槨勝ぁH·瓿訾筏康貒恧蛞姢欷小ⅳ嗓Δ浹槨長欷�詻g嶽沢のようだ。俺はこのガレ場を登る事にした。
涸沢嶽沢を登る事、2時間。見上げれば罰Ц撙味牼€と正面に一つのピ����姢à搿?證槨�稀ⅳⅳ欷�詻g嶽なのだろう。更に14分ほど登ると、ガレ場に赤いペンキで何やらマ���螗挨�丹欷皮い搿=�釘い皮撙毪取ⅰ浮痢褂·取�200X。10。11」と日付