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いた人間に何かしよう等と普通考えるだろうか? それとも、耍麤gに対する深山の思いは一方的な逆恨(さかうら)み的なものなのだろうか?
第7章 盡�à郅長恚─郵激幛康巧接嫽�ē抓楗螅�
初老男性と別れた俺は、バス停への帰り道、今までに眨�伽品證�盲渴隴頡ⅳ玀σ歡阮^の中で整理した。
10月11日、日曜日、涸沢嶽沢の斜面で耍麤g俊英の滑落遺體が発見された。彼は土日の前後各1日、有給休暇を取り、7日、木曜日、午後9時新宿発松本行きのJR特急ス��雪‘あずさに仱贄zんだ。その晩は松本駅近くのホテルに宿泊し、9日、金曜日、午前6時半過ぎの松本発新島々(しんしましま)行き松本電鉄上高地線始発電車に佨嚒P聧u々駅からはバスに仱険Qえ上高地に入っている。
上高地では自ら書いた登山屆をインフォメ��伐紲螗互螗咯‘に出し、その晩は涸沢小屋に、翌10日は北罰Ц噝∥蕒慫薏矗浚浚郡い洹�g際には「宿泊した」事になっている、と言った方が正しい。何故なら、二つの小屋の宿帳に殘されていた「耍麤g俊英」の筆跡が彼自身のもので無い可能性が高いからだ。
一方、耍麤gの勤めていた會社、ヌ��佶毳些‘グで出會った深山明夫。彼は見た所、耍麤gの事を快く思ってはいなかったようなのだが、その深山が耍麤gの自宅をわざわざ訪ね、彼に山の魅力を語り、その後、年に3回も一緒に山へ登っていたと言う事実。それでいて、社內の人間は誰一人として二人が山登りしている事を知らなかった???
更に分かった事は、深山には4歳年下の妹、北村節子がおり、ヌ��佶毳些‘グの社員だった事。その彼女は理由は分からないが、6年前、自らの命を絶ち、それを境に、深山の性格が一変。將來の幹部候補と目(もく)されていた深山は広告代理店大手の帝通を中途退職し、嘗(かつ)て妹が勤めていたヌ��佶毳些‘グへと転職してきた???
俺は耍麤gに接近し、耍麤gと今回の山行きを約束してた深山に疑いの目を向けているのだが、あいにくと彼には耍麤gが上高地入りした9日の「アリバイ」がある。當初、耍麤gと共に土日の前後各1日、有給休暇を取っていながら、出発日の8日夜になって仕事を理由に有給休暇をキャンセル。土日の2日間しか休んでない。耍麤gの山行きに同行し、彼に危害を加えた可能性は萬分の一も無い。正にお手上げ狀態だ。それでも、深山を疑うのであれば、彼のアリバイを突き崩すしか無い。しかし、どうしたら突き崩せるのか? 俺がまだ気付いてないトリックでもあるのだろうか? 俺は耍麤gの足跡を追って、信州松本へと行く事を決めた。現地へ行けば、今まで見えていなかったものが見えてくるかも知れない。そう思ったからだ。
JR松本駅
10月18日、日曜日、午前10時40分── 。
俺は松本駅に降り立った。松本は長野県中部、所謂(いわゆる)「中信」を代表する中核都市で、嘗て長野が「信濃國(しなののくに)」と呼ばれていた時代には國府が置かれ、信州の中心地として栄えた。市內には�蚧�{とした優美な外観から「烏(からす)城」とも呼ばれる國寶の松本城や、日本最古の小學校の一つで重要文化財に指定されている舊開智學校等、歴史的建築物も多い。又、北アルプス槍ヶ嶽、中央アルプス茶臼山(ちゃうすやま)、三才山(みさやま)峠をそれぞれ水源とする梓川(あずさがわ)、奈良井川(ならいがわ)、女鳥羽川(めとばがわ)と言った清流が市內を流れ、松本は「水の都」とも呼ばれている。ちなみに、松本は平成17年4月1日、梓川、四賀(しが)、奈川(ながわ)、安曇(あずみ)の四村を合併編入。嘗て安曇村であった上高地も、今では「松本市內」だ。
松本駅を降りた俺がまず最初に取りかかったのは、耍麤gが10月8日の晩に泊まった駅前のホテルの割り出しだ。10軒を優に越すホテルを一軒々々當たっていく地道な作業だ。
7軒目、駅から北へ5分ほど歩いた女鳥羽川沿いのホテルに入った俺はフロントを訪ねた。
「いらっしゃいませ」
「すみません。ちょっとお伺いしたい事があるのですが、宜しいでしょうか?」
「はい、何でございましょう?